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幼い頃

小学校低学年の時の父の仕事は左官業。母は父の子取りとして働いていた。仕事があるときはいいが、ないときは全く収入がない。
仕事があるときはほぼ毎日朝から晩まで仕事をしていた。ゴールデンウィーク、連休など我が家族には関係なかった。
時には、夜中の12時をまわることもあった。そんなときは決まって、夕食には、矢上町にある浜田食堂の皿うどんが届いた。

母親はいつも言っていた。
父親と同じ仕事をしていると、仕事がないときは収入がなくて、困るのでどこかいいところに就職したい。
収入が安定しているなら、どんな仕事でもいい。

父親も言っていた。
人間の働ける時間は、24時間以内。
それはみな平等。
その中で収入を増やすには、時給をあげる。
時給を上げるためには、他の人ができないことができる能力が必要。
しかし、そんな能力はない。
今の仕事を生かして、毎月安定した収入を得るための方法は、家賃収入しかない。

父と母がいつも朝早くに出て、夜遅くまで働いていたようだ。仕事がないときは、畑仕事。とにかく働いていた姿しか記憶にない。

時は田中角栄内閣。
日本列島改造論にわき、長崎も団地造成で畑売却の話が出た。当時のお金で100万円くらいだと記憶している。
父は即売却して、アパートの建設資金とした。 当時の売却に対しては、「日本列島改造論」で土地の値段は上がると考えて、売りしぶっていたようだ。確かに土地はどんどん上がった。

小さい頃からの父の教え

今でも、父から言われた忘れられない一言は、 「お父さんが、基礎を作る。その基礎を使ってもっと大きくするんだ。」。